目的は個人、目標は集団と捉える

会社で何かと噛み合わない先輩、上司などと衝突、又は嫌な思いが絶えないと悩む方もいるのでは無いか?

家族内で、妻や夫と話をしててもイライラする、子供が全く言う事を聞かない。

友人と遊びに行っても、こちらばかりが我慢しているように感じる。

日々感じる違和感は一体なんなのか?と考えても答えのようなモノは出てこない。

その原因は、目的と目標がごちゃごちゃになっており、個人の価値観により目的は違い、目標がイマイチ全員に明確では無いと言う事なのでは?と気づいた。

例えば、会社における目標は「予算」のようなモノだろう。しかし、その会社に勤める目的とは十人十色であり、お金という人もいれば承認欲求や地位、名誉などもある。

家族というある程度まとまった集団であっても自我をもつようになれば、「毎日が楽しく」「落ち着いた日々」「好きなものに囲まれる日々」など目的は様々だろう。

友人との間でも「友達という関係性を楽しみたい」「ストレス発散」「承認欲求」など違いはあるのだろう。

それらは、個人の価値観の違いによるものであり違って当たり前である。

その目的により、ルールは変化する。

「地位」が目的であればルールとしては、上司には絶対逆らうべきではなく、「自分らしく生きる」が目的とはであれば、自分の意見を突き通す位のスタイルになるだろう。

つまり、価値観の違いから生まれる目的によって、個人のルールが生まれて、そのルールを破ることをされると人は怒りを感じるのでは?と思う。

しかし、人の数ほどの価値観があり、見た目こそ人間であるが、同じ人間など基本的には存在しない訳だから、他人を「何故わからないか!!」と激怒する事は意味を持たないだろう。

目的は人の数ほどあっても良いだろう。


しかし目標は違う。


もし目標が人の数ほどあれば、すべての人が自分勝手に行動するだろう。

それは集団ではなく、個人がたまたま近くにいるだけだろう。
もし、集団として何かを成し遂げたいと考えるなら、目的と目標は分けて考えるべきだろう。

目的が近い=価値観が近いもの同士であれば、自然と行動パターンも近いものになり、やりやすいと感じる訳だ。

しかし現在における価値観の多様性は過去に類を見ないほどであり、その理由として、インターネットの普及による情報の自由化とメディアの情報独占が薄れている事が原因なのではと感じる。

すなわち現代における「集団のエネルギー」を最大限に活かす方法とは、目的=価値観の違いを理解して尊重しあえる風土作りと、目的の明確化と徹底した共有、ルールの設定においては「ここは絶対に守るべき」を多過ぎない程度に決める事だろう。

これほどの多様性という、知の塊をまとめ上げ、進むことができれば過去では成すことが出来ないほどの価値を作ることが出来るのではと可能性を感じずにはいられない。

しかしながらそれは、容易いことではなく、その集団をまとめる人材は必要であり、その適性も一つの個性として扱う必要があるだろう。

つまり、他の個性のついでに集団をまとめるという、よくある上司では成り立たなくリーダーシップという個性は集団の能力を最大化するためと割り切り、そのリーダーの過去の功績は別と捉えるべきだろう。

話がだいぶ偏ってしまったが、目的を互いに認め合い、目標を明確にして、目標に対する守るべきルールを設定することが、皆が個性を活かして前進する方法なのではと思う。

どんな場面であっても集団である以上、目的、目標、ルールを明確にすると楽になるのでは無いだろうか。