自分に不真面目に生きる難しさ

自分に真面目な人は沢山いる。
何故なら、じぶんはカワイイもの、大切であり、なんとかしてあげたいもの。
自分に似合う服装は何か?と悩み、今までの人生経験なんかを武勇伝のように引っ提げて、他人についつい意見してしまい、他と比べて優位に立てるかを真剣に考える。とても自分に真面目である。
真面目だけに、色々なものに衝突する。
悩み、苦しみ、悲しみが常にあるように思う。

自分に不真面目とは、どう言う意味なのか?
掴みきれない。
もしかすると、拘りや意見を持つことは真面目であり、それを他人にぶつけてしまっている時、それは真面目であり、悩み苦しみ悲しみを感じているのかもしれないし、悩み苦しみ悲しみを与えているのかもしれない。
でも本人は真面目だから、悪気はなく、相手の為と思い振舞っているのだろう。

「真面目とは良い事」と受け止めることが自然に感じる。しかし、それは他人に対して真面目である事なのではないだろうか。
大好きな、みうらじゅんさんが言ってた言葉
「自分に不真面目、他人には真面目に」
感覚では伝わったが自分に落とし込めていない。

とあるラジオで聴いた言葉
「他人とは良くも悪くも、何もできない」
この言葉が何故かヒントのように聞こえた。
「良くも悪くも」と言うことは、どれだけ良い事だと思い他人のためと思いを伝えたとしても結局はその人が変わろうとしなければ無駄。
他人の悪意に満ちた言葉を受け止めてしまえば、辛い気持ちになるだろうけど、自身が悩む事自体バカ馬鹿しく、まともに受け取る必要もなく、そのような義理もないと思えれば、苦しむ事もないのだろう。

それは一見、真面目という名を我が物顔に
自己愛の強い、ワガママで未熟な者が言う戯言位に
捉える方が良いのだろう。
同時に、自分が自分に真面目であるということを疑う必要があり、戒めるべきだろう。

まとめると「他人とは良くも悪くも何もできないのだから、自分に不真面目位が丁度よくて、でも他人には真面目にしよう」
"自分に不真面目、他人に真面目"
この捉え方が最高に難しいが、
きっと自分に必要なものだと強く感じるから、
書かずにはいられないのだろう。